できないことは良いこと?悪いこと?
今日は僕が所属するNPO法人ひだまりの丘が
3月3日にイベントを開催するのでイベントの告知をしに
ゴジカラ村へ息子と行ってきました。
(僕はイベントに参加できないのだけれど)
gojikaramura.j
<イベントはこちら>
■できないことは良いこと?悪いこと?
ゴジカラ村には古民家が2つあります。
初めてお邪魔させてもらってから、
絵を描いてくれる人だと一発で
子どもたちは覚えてくれて、
最近よく顔を出しています。
今日も子どもが15人くらいいたので、
30分お約束して、一緒に絵を描いていました。
帰り際に、
自分たちの名前や顔を覚えて欲しいらしく、
「名前覚えたー?」って頻繁に聞いてきたので、
「ごめん、僕名前覚えるの苦手なんだわ。
顔は忘れないからね!」
・・・というと、
描いた絵に自分の名前を描いて
渡してくれました。
(自分の家に飾るって言ってたのに。)
6年前、学童保育所でアルバイトしていた時は、
「子どもの名前を一生懸命覚えるべき」 と
思っていました。
でも当時は無理して覚えていたんですよね。
そうすべきだと。
現在も変わらず苦手です。
本当は無理して覚えていたくないし、
相手に「覚えていますよ、私」で
付き合いたくない。
何より子どもに嘘付きたくないなって思いまして。
子どもは責めてこないんですよね。
「なんでできないんだ?」とか。
むしろ僕の苦手を瞬発で受け止めて、
「自分が名前を描いて渡せば良い」と。
全くできない人に対して
「やってあげた感」がありませんでした。
彼らはそれをしたかったんですね。
それだけ。だから反応が速い。
この一連のやり取りが
自然で素敵だなと思いました。
■できないこと、できることが
あって当たり前の世界に
彼らはまだそこにちゃんと住んでいて、
(僕もそうだったんですが。きっと)
いつからか僕はそこから旅立ってしまって、
「できないことはできるようにすべき」という
(勝手に感じている抑圧・思い込み)が
あったなぁと振り返れました。
みんなのできない・できるをOKに
できない人がいる、できる人が現れる
→ 役割が生まれる。(僕はその方が幸せ)
でも、その話をする根っこに、
尊い願い(同じ行き先)がないとね。
結局一緒にいる意味がなくなってしまう。
できないことをもっと素直に出していけば
もっとしたいこと・できることが輝くかもしれない。
できないことは良いことだと僕は思う。
大人になってから、
誰かにできないことを委ねるのは
すごく勇気がいることだから。
自分を好きになるって
そういうことなのかもしれない。
できない自分を良しとしてあげること。